【2016年】十二指腸静脈瘤破裂から2度目の吐血。死の淵をさまよう。

肝硬変

2016年4月2度目の吐血

【2016年4月】

1度目の吐血から5年後の忘れもしない2016年4月28日。2度目の吐血

この日、母は昼間に吐血していたようだ。

今回も母は、当日は様子を見て、次の日に病院へ行こうと言う考えだったらしい。

しかし、夜には歩けないくらいしんどくなって(そりゃあ、血管破裂してるからしんどいわ・・・)、私の携帯に父親から一報が入り、すぐさま実家へ直行。

すぐに救急車を呼んで、病院へ搬送してもらう手配をおこなった。

救急車は10分ほどですぐに来たのだが、受け入れてくれる病院がすぐには見つからないということを、この時に実感した。

受け入れてくれる病院がなかなか見つからない・・・。5件ほど救急隊員が病院へ電話していたような感じで、時間にして約30分ほど待ったと思われる。

この時に「病院のたらい回しで死亡」というニュースが脳裏をよぎった。

他人事としてしか見聞きしていなかったが、本当にその待ち時間の辛さは実際に体験してみないと分からない。

救急車で病院が見つかるまでの間、母の血の通っていない真っ青な顔を見ると、涙が込み上げてくるので見ることもできない。

この病院が見つかるまでの待機時間は、尋常じゃないほど長く感じた「とても辛い時間だった」。本当に地獄の時間でした。

やっとの思いで搬送先病院が見つかり、救急車が動き出した。

搬送中に母は気分が悪くなり嘔吐していたが、その内容物は「血」だけだった。

それを見ているこっちも本当に辛かった。

いてもたってもいられずに、母の口元をタオルで拭こうとするが救急隊員に『気持ちは分かりますが危ないので座っといてください』と静止されるほどに冷静さを失っていた。

私は素直に「すいません・・・。」と謝り、病院まで静かに座っていた。

ただ座るだけで何もできない自分。母の辛い姿。

色々な想いがあいまって、涙が何度も込み上げてきたのを必死で抑え込んでいたのを覚えている。

今だに救急車内で苦しそうに吐血していた母の映像は鮮明に覚えているし、これからも忘れる事はないだろう。本当に見ているこっちも辛かった。

数十分後、病院へ到着して緊急手術。この時ほど心の底から救急車・救急隊員の有難さを感じたことは言うまでもない。

手術は23時ころから早朝4時の5時間にも及び行われた。

この時には弟も病院へ駆けつけて、早朝まで一緒に待合室で待っていた。

そして手術は無事成功。

先生からは『十二指腸の静脈が破裂していました』と説明を受け、昼頃にまた詳しい内容を説明するということで、一旦帰宅する事にした。

そして再び先生の説明を受ける為に3時間ほどの仮眠をとり、昼に病院へと向かった。弟は寝ずにそのまま仕事へ。

先生から開口一番『実はあの後、違う血管も破裂したのでそこも止血の手術を行い、無事成功して今は一旦落ち着いてます』と告げられた。

今回は本当に大手術で、よく生き延びられたと実感した。同時に命を救ってくれた先生方には感謝の想いしかありませんでした。

後に、なかなか血が止まらなかったので、人間1人分の輸血を行ったと聞かされた。

人々の献血によって救われた。

私自身も献血の大事さを知り、よりいっそう献血を行おうと考えさせられた日だった。

先生に、『もし前回のように我慢して次の日に病院へ行ってたらどうなってましたか?』という質問をした。

すると先生は『死んでました』と一言。

その言葉を聞いて、本当に奇跡的に生還したんだなと実感しました。

改めて先生、家族、会社、神様に心の中で感謝した。

その日は当然ながら緊急病棟で、少しだけ顔を見る事ができたが、もう顔はパンパン、足もパンパンに腫れ上がっていた。

もちろん体は管だらけで会話もできないですが、話しかけるとうなずいていたので、おそらく意識はありました。泣けてきます。

これだけの大手術と輸血量なので、当然予断を許さない状況である。

当分は緊急病棟での24時間監視体制となった。

無事に手術が終わったと聞いて自宅に帰っても、気が気ではない。

ため息しか出ませんし、1人になると涙が自然と溢れ出てきます。

寝る前も、仕事中も涙が自然と溢れ出てきました。

手術が成功したからと言って回復するのか、このまま逝ってしまうのか、緊急病棟にいる間は不安で仕方がありません。

「さいわい」という言葉が合っているのか分かりませんが、次の日からちょうどGW(ゴールデンウィーク)の長期休暇に入るために、連日お見舞いができる状況にありました。

GWは毎年嫁と遠方へ旅行をしていたのですが、今年は計画どころか話すら上がっていなかったのです。

虫の知らせでもあったのでしょうか?

2度目の吐血から無事に退院

【2016年6月】

GW(ゴールデンウィーク)は毎日毎日お見舞いに行くことができたが、緊急病棟にいるために10分ほどしか母と接する時間がなかった。

接することができても、顔中に管が通っているのでしゃべることができない。

こちらから話すことだけしかできないが、うなずいてくれるので意識は何とかあったようだ。

体は当然ながらまだまだパンパンで顔もパンパン。

ベッドに縛られ、身動きすらできない状態で、このまま回復するのか?という不安しかなかった。

そして、10日ほど緊急病棟で過ごし、その後は一般病棟へ移動となった。

この時の看護婦の対応やら、水すら飲めない状況、何もできない自分自身、次々と運ばれてくる瀕死状態の患者など、色々なことを踏まえて、緊急病棟での過ごした期間は地獄だったと母は言っていた。

GW(ゴールデンウィーク)明けも、仕事が終わった後に毎日欠かさずお見舞いに行きました。

『もうこのまま退院できないかもしれない。できるだけ母と接する時間を多くとろう』。このような気持ちが、毎日のお見舞いへ行く原動力となっていた。

でも病院へ行くことに関しては全く苦痛ではなかったし、母の顔を見れるだけで嬉しかった。

逆に行かない方が不安な気持ちになってしまうので、毎日お見舞いへいくことは全然平気だった。

一般病棟に移ってからも、せん妄などで大変なこともありました。

それをよそに1ヶ月半ほどの入院期間を経て、2016年6月6日に無事退院となりました。

2度の吐血から素晴らしい手術で奇跡的な生還です。

やっぱり母はすごいわ。すごい生命力の持ち主と改めて実感。

退院時には腕や足がガリガリにやせ細っていましたが、お腹だけは腹水の影響で少し張った状態での退院であった。

退院2週間後の定期診断までに、今よりも体重が5㎏以上増えればすぐに病院に来てくださいと先生から言われ、更に塩分はできるだけ控えるようにと忠告されました。

退院後から2週間、何とか体重が増えないようにしてもらいたいですが、そう簡単にはいかないのが現実です。

[st-mybox title=”退院直後の体重と腹囲” fontawesome=”” color=”#ef5350″ bordercolor=”#ef9a9a” bgcolor=”” borderwidth=”2″ borderradius=”5″ titleweight=”bold” fontsize=”” myclass=”st-mybox-class” margin=”25px 0 25px 0″]

体重:52.80㎏ 腹囲:82.5㎝(退院直後)

体重:55.35㎏ 腹囲:85.0㎝(退院2週間後)

[/st-mybox]

退院から2週間後の検査では、体重が2.5㎏ほど増え、腹囲も2.5㎝大きくなりました。

あきらかに腹水が貯まってきています。

血液検査ではアルブミン値、血小板の値が共に上昇。

2週間前よりは改善されているようですが、腹水は貯まっています。

問診でも、体重が増えている事から利尿剤を1錠から2錠へ増やし、これで様子を見ましょうということになった。

また血小板の数字が良くないので、脾臓の手術を今年一杯を目途にどうするか考えて欲しいとも言われました。

何でも血小板の数値が低いと脾臓に負担がかかってダメらしいです。

裏を返せば血小板の数値を正常に戻せばいいという事です。

しかし、脾臓の手術はそれなりの合併症というリスクがあります。

そのリスクを聞いているだけで絶対に手術はしたくないという想いがありました。

その後、この病院から転院したので手術はしなかったです。転院していなかったら、おそらく不安定な状態だったので手術をしていたかもしれません。

その当時は手術をしないように「血小板を正常値に戻す」。これだけを考えていました。

ただ、脾臓の手術まではまだ先なので、まず目の前の腹水を何とかしなければいけません。

腹水を無くすためには、今のところ西洋医学では利尿剤で尿を出して腹水を減らす、尿の量が少なければ利尿剤を増やしていくというマニュアルしかありません。

肝硬変での腹水治療は根本的な治療方法がなく、対処療法しかないのです。

この先、腹水が減らずに増え続ければ、お腹から針を刺して腹水を抜く方法(穿刺[せんし])を行って腹水を抜くしかありません。

この穿刺は腹水中にある栄養分も抜かれるので、何度も行うわけにはいきません。

栄養を抜かれると衰弱していき、遅かれ早かれ死に近づいていきます。

医者もこれ以上先は何もできない状態なのでもどかしいでしょう。

しかし、薬での対処療法は様々な副作用が出てきます。

当然利尿剤を飲み続ければ腎臓に負担がかかり、いずれ腎臓もやられていまいます。

何とか利尿剤を増やさずに腹水を減らすためには、西洋医学ではなく東洋医学も取り入れなければ解決できないと私は考えました。

そこで漢方を取り入れる治療を視野にいれて、検討することにしました。

体重が減らない。漢方を始める。

【2016年7月】

6月6日に退院し、2週間後の定期検診での体重が55.35㎏と退院から3㎏も増えていた。

これは腹水が止まっていないことを意味しています。

そして、2週間後の定期検診で利尿剤を1錠から2錠へと増やされることになった。

『利尿剤を増やすだけの対処か・・・』

薬が効かなくなった場合どうするのか?根本的な治療はないのか?この時から薬だけの対応に疑問を感じるようになってきた。

しかし、医者の言う通りに利尿剤を増やして飲むことに。

利尿剤を2錠にしてから5日後の6月22日には効果が出てきて約3㎏減の52.45㎏まで減ってきた。

この日から漢方も同時に服用。できるだけ副作用のある利尿剤を止めたかったからである。

その後、6月30日まで体重は平行線だったので利尿剤を2錠から1錠へ減らしてみることにした。

しかし、体重が増えだしたので3日後には元の2錠へ戻すことになった。

7月も体重は増えず・減らずと平行線を保ったままだった。

増えなくて良かったが、減らないというもどかしさもあった1ヶ月間だった。

7月30日の定期検診で、医者からとうとう利尿剤をもう1錠増やしましょうという指示が出てしまった。

これ以上薬を増やしたくないのだが、体重が減らないのでしょうがないと思いながら指示に従った。

順調に腹水が減ってくる

【2016年10月】

7月30日から更に利尿剤を増やして様子を見ることに。

6月の後半から漢方も併用して、40日が経っている。

この40日間で、漢方による効果を感じられていない。

この漢方がダメなのか、母には合っていなかったのかどちらかだろう。

でも、とにかく100日間は飲んでみることにした。

そして、漢方の効果を感じられないまま利尿剤を2錠から3錠へ増やす。

利尿剤を増やしてからは少しずつ体重が落ちてきた。

1ヶ月後の8月30日には52㎏→45㎏まで体重が減少。

あきらかに利尿剤の増量効果が出ていることになる。

[st-mybox title=”7月31日と8月31日体重比較” fontawesome=”” color=”#ef5350″ bordercolor=”#ef9a9a” bgcolor=”” borderwidth=”2″ borderradius=”5″ titleweight=”bold” fontsize=”” myclass=”st-mybox-class” margin=”25px 0 25px 0″]

7月31日の体重:52.75㎏ 腹囲:82.0㎝

8月31日の体重:45.55㎏ 腹囲:69.0㎝

[/st-mybox]

なんと体重は約7㎏まで落ちて、腹囲も13cmまで減少。

この時にはもう腹水を出し切ったのではないだろうかと思うくらい、お腹はへこんでいた。

お腹の張りがなくなり一安心だが、腕も足もガリガリ。でも、良かった良かった。

9月も順調に体重は増えずに平行線をたどっていたので、110日間のみ続けていた漢方も10月に止めることにした。

結局効果があったのかないのか分からなかった漢方でした。

そしてついでに利尿剤も減らしてみることにした。

しかし、これが最悪な事態を巻き起こしてしまう。

漢方も利尿剤も止めた途端に、体重が少しずつ増えだしたのである。

腹水が貯まり再び入院

【2016年11月】

順調に腹水が貯まらなくなっていたので10月4日に漢方を止めて、利尿剤も減らしてみた。

そしたら体重がまた増えだしたので、慌てて利尿剤を元に戻し漢方も再開しました。

[st-mybox title=”10月と11月お体重比較” fontawesome=”” color=”#ef5350″ bordercolor=”#ef9a9a” bgcolor=”” borderwidth=”2″ borderradius=”5″ titleweight=”bold” fontsize=”” myclass=”st-mybox-class” margin=”25px 0 25px 0″]

10月4日の体重:47.0㎏ 腹囲:73.0㎝

11月21日の体重:57.75㎏ 腹囲:86.0㎝

[/st-mybox]

しかし、元の体重には戻らずに1ヶ月後には体重が10㎏増に。

お腹がパンパンになって苦しくなったので、11月21日に病院へ行って初めての穿刺(せんし)を行う。10㎏も増えていればそりゃ苦しいですよね。

穿刺というのはお腹に針をさして腹水を抜くという方法です。

この穿刺のメリットは、すぐに腹水が抜けるので数時間後には楽に歩けるようになるということ。

その反面、栄養素も一緒に抜かれるので体調が悪くなる可能性が出てくることや穿刺をしても対処療法にしかならないので、すぐに腹水が貯まってしまうというデメリットがあります。

つまり、穿刺は単なる対処療法にしかなりません。その場しのぎってやつです。

その時は穿刺で3リットルの腹水を抜きましたが、3日後には完全に元の体重に戻る。

同時に、穿刺には意味がないことが分かりました。

そして、次の日11月25日に入院という運びになります。

入院期間の治療は、サムスカ錠という薬を服用した治療方法を行うことが決定しました。

さて、サムスカ錠にて治療を行ったわけですが、1週間経っても効果は得られません。

8日後に医者がしびれを切らしてサムスカ錠の増量を試みました。

すると、少しずつ体重が減少。

1週間後に2.5㎏体重が減ったところで、12月9日に退院が決定しました。

入院期間は約2週間でした。

そのまま、自宅でサムスカ錠の治療を行います。

退院から1週間後には更に2.6㎏の減量に成功しました。

そこからは、あれよあれよと順調に毎日体重が減って、18日後の12月27日には入院時の体重から10㎏減量して元の体重へと戻っています。

しかしこの急激な体重の減量により、後で恐ろしいことが起こるとは思いもよりませんでした。

まさかの肝性脳症か!?

【2016年12月】

12月9日の退院後から、サムスカ治療で腹水も順調に減ってきたのだが、また新たな症状を引き起こす事になった。

新たな症状を引き起こしたのが、肝性脳症であった。

サムスカ錠の服用で一番気を付けなければいけないのが脱水である。

脱水が起こると、体中の水分が足りなくなり、アンモニア濃度が高くなって、その毒素(アンモニア)が脳へ回り肝性脳症へと発展します。

サムスカは体内の水分をかなり放出するので、常に脱水症状と隣り合わせ。

年末にその脱水症状が原因で、母は肝性脳症を発症してしまったのです。

12月27日に前日から体重が一気に3㎏減った時があった。

その時から、母の言動がおかしくなっていたのが後の日記から分かった。

医者から肝性脳症の原因は「脱水」とは言われていませんが、その体重の激減から間違いなく脱水が原因でしょう。

当時は肝性脳症への知識がなく『一時的にボケたのかな?』くらいしか思わなかったので気にかけてもなかった。

しかし、年末にかけてかなりおかしな言動が多くなってきたところで肝性脳症ということに気づく。

母が発症した肝性脳症の一例を挙げると

[st-mybox title=”肝性脳症の一例” fontawesome=”fa-check-circle” color=”#757575″ bordercolor=”#BDBDBD” bgcolor=”#ffffff” borderwidth=”2″ borderradius=”5″ titleweight=”bold” fontsize=”” myclass=”st-mybox-class” margin=”25px 0 25px 0″]

・トイレのレバーがどこにあるか分からなくて流せない

・更に乗っている食パンを手に取らずに、皿の横に置いている布巾を手に取って食べようとする

・おはしを持って食べるということを忘れて、手で麺を食べようとしている

・暴言を吐く

・自分の名前も分からなくなる

・お漏らしをする

[/st-mybox]

などなど、もっと色々なことがありましたが一例を挙げました。

この時はちょうど年末でかなり冷え込んでおり『寒い、寒い』と母が言うので、1日中暖房で部屋をガンガンに暖めていた。

それが脱水を引き起こす原因とも知らずに・・・。

12月27日から30日まで言動がおかしかったり、正気に戻ったりだったが、31日から行動が更におかしくなっていた。

しゃべること自体は正常なので、病院に行くかどうしようか父親と相談しながら様子を年末を過ごすことにした。

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