肝性脳症で再び入院
【2017年1月】
しかし、1月3日のお風呂上りから『しんどい』と母が言い出してから、一気に症状がひどくなっていった。
このお風呂が脱水を加速させてしまったのだろうと後になってそう思った。
あの時に、経口補水液などを摂取させておけば・・・、暖房を少し抑えていれば・・・など、後から自責の念を感じていた。
この日は、夜中の0時にトイレに行こうとするが自分で歩けない、自分のことすら分からない、暴言を吐く、水が飲めないなどの症状が出ていたので、『これはもうヤバイな』ということで朝方5時ごろに救急車を呼ぶことにした。
年始ということで、病院も開いてないんじゃないかと思いながらも何とか緊急病院へ搬送されて、アミノ酸による点滴治療が行われた。
病院について3時間ほど点滴を受けた後、母と面会。
面会した瞬間、母は『自分が情けない』と大泣きした。
私も『オカンのせいじゃないで、病気のせいやからな』と一緒に泣いていた。
これを書きながらも、当時を思い出して泣いてしまう。
もちろん、そのまま入院。
さすが年末年始、ベッドが超高額の個室しか空いていない。
仕方なくその高額個室で1日過ごすこととなった。
24時間体制で家族の看護が必要ということで、私が母を病室で見守りながら過ごすことにした。
次の日にはかなり元気になったので、いつもの病院へ転院することになった。
そして、その病院での診断書には「肝不全」という症状がつけられていた。
『肝硬変じゃないの・・・?』。ショックだった。
私の不安をよそに、母は転院から9日後の1月14日に無事退院して自宅へと戻ってきた。
『肝不全・・・。もう末期やん。』
もう、終わったと覚悟を決めた時でもあった。
弟にも『オカンはこの先短いかもしれんから、できるだけ会っときや』と言うくらい諦めムードが自分の中にあった。
さて、これからどうしようか。
そのことばかり考える日々を送っていた。
とある治療家と出会い改善へ
【2017年3月】
2016年は、腹水の治療で何度も病院へ行き、治療に専念するために再入院もあった。
肝硬変の末期になると、何度も腹水を繰り返してしまい、余命も長くないと周りやインターネットでもささやかれる。
それに加えて肝不全という診断。
お先真っ暗の状態だった。
2016年は、腹水はどうやったら治るんだろう?このまま死んでしまうのか?
色々なことが頭を駆け巡り、仕事をしていても本当に気が気でなかった。
2017年になっても、いつお腹に水が溜まるか不安でしょうがない日々が毎日続いた。
医師に『また腹水が貯まった場合はどのような処置をするのですか?』と聞いた。
医師は『薬の量を増やします』。それだけだった。
『あぁ、もう薬頼りなんだ。』
『医者には治せないんだ』
と落ち込んでいたところに、トドメとばかりに追い打ちをかけたのが、薬のハンパない量。
今までは5種類の薬だった(それでも多いと感じていた)のが、7種類に増えた。
『これからは薬漬けにするんだ・・・』
『もう治療法・改善法はないんだな・・・』
と医者からも見放された喪失感と、絶望感は今でも覚えている。
同時に、薬漬けにするしか方法がない医者、治せない医者には頼ろうと思わなくなった瞬間であった。
でもこのおかげで諦めムードだった私に火を付けた。
『絶対に母を助ける!長生きさせてやる!』という、熱い気持ちを駆り出させた。
母を救ったのは医者でも薬でも手術でもなかった
2017年1月に診断書から「肝不全」ということを知り、母の余命もいくばくもないと諦めムードだった私。
しかし医者の薬漬けに疑問を感じたことがきっかけで、諦めムードから一転「もっと生きて欲しい!」と心から思い続け、完治する方法を探し続けた。
そのことが幸いしたのか、のちに不思議な縁に引き寄せられて肝硬変を克服していくこととなった。
とは言っても、何の知識も人脈もコネもない一般人の私では「なすすべもなかった」。
できることと言えば、インターネットで治療法を検索するくらい。
それこそ三日三晩、寝る間も惜しんで肝硬変の完治方法がないのか調べ尽くした。
しかし、調べれば調べるほど現時点の医療技術では肝硬変を治せる方法がなく、万策尽きた感があった。
可能性があるのは肝臓移植くらいだった。
弟も『俺の肝臓をオカンに提供できへんかな?』と言ってくれたのはすごく嬉しかった。
しかし、肝臓移植をしたからと言って完治する可能性も低いので、移植に関しては全くしようとは思わなかった。
これには母も同感だった。
絶望感の中、行きつけの美容室で髪を切りながら、ふと美容師に聞いてみた。
私:『母の難病治せる人いませんかね?』と相談してみた。
すると、美容師は
『いますよ!紹介しますよ』。即答で返ってきた。
私:『ウソでしょ!』と信じられない大きな声を挙げていた。
美容師:『医者でも何でもない治療家ですけどね。どうします?』
私:藁にでもすがりたい気持ちだったので、『是非紹介して下さい!』
そこからあれよあれよと一気に予定が決まり、その治療家の施術を受けることになった。
その治療家は難病専門で施術を行っている人物で、ありとあらゆる難病を即座に治す凄腕の治療家だった。
2017年2月7日、難病専門の治療を受けることになった。
この出会いが命運を分けることになるとは。
その治療家の出会いから2018年の12月までの約2年間は、腹水も出ずに肝不全とは思えないくらい元気な母親に戻っていた。
母親の努力ももちろんあるのですが、『この治療家と出会っていなければ死んでいた』と弟とよく言っています。
でも、父親はいまだに『うさん臭い』と言って毛嫌いしています。
そうなんです、信じない人はとことん信じないので、この記事でも紹介はしません。
しかし難病で困っている方、同じ肝硬変・腹水で悩んでいる方で藁にもすがりたいという方は、是非私はおすすめします。
その時は私にメールなり、ツイッターで絡んでください。
私は、母を助けてもらった先生にとてつもなく感謝しています。
この恩を返すにはどうしたらいいだろうと考えた結果、少しでも多くの人に広めることが役目だろうと考えました。
そのことが、ブログで発信することを決めたきっかけでした。
1人でも多くの人が希望を持ち、辛い今から抜け出し、笑顔で人生を送ってもらいたい。たったそれだけです。
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